「意識向上」のその先へ~エコ・デジタルを例に~

人生語り

こんにちは。かけるです。

私は先日、国際食資源学院の実習に行ってきました。

今回の実習では、北海道内の2都市である富良野・余市を訪れました。生産・環境・ガバナンスという3つの分野を横断的に有する国際食資源学院らしく、ワイン用ブドウの収穫から、収穫後ワイン用ブドウの選別、役所役場での議論などなどを経験しました。この記事では、実習で取り組んだ内容についてこと細かに書くつもりはありませんが、実習で学んだ、「だいじなこと」について述べたいと思います。

※私がなぜ、「ぐろばる」を展開する他の同期から一年遅れて今回の実習に参加したのか、という質問に対しては以下の記事を参考にしてもらえればと思います。

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国際食資源学院の実習をちょっと紹介

本題に入る前に、国際食資源学院の実習を紹介したいと思います。国際食資源学院ではデンマークやミャンマーといった海外実習に参加できる(というか、強制的に参加させられる)ことが一つの目玉です。しかし、時代はCOVID-19、学業であっても海外渡航が制限される時代となってしまいました。海外渡航できなくなった状態でも、実習の単位を取得する必要があることから、国際食資源学院では北海道内での実習を企画し、今回私はこれに参加してきました。

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あなたの「環境意識」はマウントになっていないか?

さて、私は前回、SDGsに関する記事を書きました。幼少期からフードロスや温暖化に興味を持っていた私は、国際食資源学院での講義実習や、国連広報センターでの経験から、世界を持続可能な方向に持って行くためには、

「私を含めた消費者の意識を変えていく必要がある」

と結論づけました。これは本当にもっともで、「こまめに電気を消す」「食べ物を残さない」という消費者の行動は避けがたく、もはや当たり前で、全ての人が取り組む必要があります。

おそらく、「消費者の意識を変えていく」という私の意見に対して、”総論”賛成だと思います。少なくともこれを読んでくれている同期は大学院まで出ているので、みんな賢明です。「私たちが先陣を切って他の一般消費者の意識を変えていかなければならない!」と意気込んでいるかもしれません。

しかし「意識を変える」というのは一見良さげでも、危ない一面も持っていると思います。

幼少期から、いわゆる「環境意識」的なものは人一倍だったと思っていました。例えば、すべて燃えるごみに投げるのではなく、プラやペットボトルに分別するのは良いこと、さらに生ごみは畑に戻したら良いんじゃないか、とかいろいろ考えていました。つまり、環境意識が高いと自分で思い込んでいたのです。

しかし、私は今回の実習でこのような経験をしました。今回泊まった宿は、環境意識が高く、ごみの分別から節約まで、様々なことがルール化されていました。生ごみは別で保存して鳥の餌にするし、電気や水道の節約は徹底するように言われました。まさに、自分が理想的だと思っていたような、環境に優しい習慣でした。

はじめはそのルールに感服していたのですが、別の感情が生まれたのです。それは、「反感」です。私が、理想的に世の中こうなったら良いのにな~って思っていたことを、強制されると少し腹が立つのです。自分が自分のできる範囲で環境に良いことをしてきたはずなのに、自分の限度を超えることを少し強制されると、なんだかやる気が無くなってしまいました。

私はこれまで、分別をしたり、こまめに電気を消したり、自分のできることをコツコツしてきたつもりでした。しかし、これらは誰かに強制された訳ではなく、あくまで「自分のできる範囲」なので、やっても褒められないし、やらなくても怒られない世界線です。それを強制されたりルールに従うよう言われると、一気にやる気を無くしてしまうのです。

これは本当に困ったことです。それは、もし環境に良いことを心がけている人が「他の人の意識を変えなくては!」と思って、少し価値観の押し付けに近いような行動を取ってしまうことで、少し環境意識がある人のやる気までをも奪ってしまうこともあるのではないでしょうか。

自分が持った問題意識をどう昇華するのか

とは言っても、環境問題とか農業に問題意識を持っている人(が国際食資源学院には多い気がします)を批判したい訳ではなく、むしろその問題意識を有していること自体、誇るべきことだと思います。立派です。環境・エコの分野だけではなくて、私が研究対象としている農業のデジタル化でもそうですが、あなたの「やるべき」は誰かの「やるべき」にはなりません。大半がどうでも良かったり、むしろ反対していたりしているのではないでしょうか。世界を動かすためには、大半を占める無興味層・岩盤層をモチベートするための一捻りが必要です。

やらないことを罰する世界ではなく、やることで褒められる世界を。

何か目指すべき世界を実現するためには、2つの手段があると思います。

  1. 理想的な行動を褒める
  2. 反対的な行動を罰する

スピード違反で止められた時、「そんなにスピードを出していたら危ないじゃないか」という警察のコメントに対してなぜか少し反感を抱くのは、危ないとは分かっていてもやってしまう、これくらい出しても大丈夫だろう、と思っていることを指摘されて、なんだか自分の弱さを突かれているような気がしますよね。スタディサプリの伊藤賀一先生も言っていましたが、歴史を見ても、人は本当のことを言われると腹立つそうです。

環境問題についても、一個人の行動や習慣が求められるような分野については、やらないことを罰せられる・怒られる世界では、少ないながら頑張っているやる気やモチベーションを削いでしまいます。2.のアプローチではなく、やることで褒められる・評価されるポジティブな世界であってほしいと思います。

意識を変えるのは大変。気付かなくても貢献できる世界を。

今回の実習を通じて思ったのは、自分を含めた消費者の意識を大幅に変えることは難しいかもしれない、ってこと。「意識向上」でアプローチできるのは、ほんの一部。無興味層・岩盤層がむしろ意識しなくても、行動の環境負荷を小さくすることができるような、製品・政策・ソリューションを作ることが重要なのではないしょうか。

スマート農業でも同じことが言えないか

私が研究対象としている農業、デジタル、ドローンでも同じようなことが言えると思います。「スマート農業の普及が進まないのは、農業従事者の人口は高齢化しているから。高齢者のデジタル意識向上・スキル向上が求められる。」という文脈で語られることがあると思いますが、ここには意識向上というワナが存在していると思います。デジタルはいくら便利であっても、相手にメリットが無いと使ってもらえません。「意識向上」で終わらせるのではなくて、じゃあ高齢者でも使えるようになるためにはどうすれば良いのか、文字を打つのが難しいなら声で動くロボットトラクタが作れるんじゃないのか、本人が使えないのであればお孫さんにサポートもらえるしくみは作れないか、などなど。

おわりに

今回はかなり抽象的でソフトな記事になってしまいました。実習で感じた少しのモヤモヤを伝えられたら幸いです。

意識向上って便利な言葉で、何か達成できないこと・壁があるとその人の意識向上に逃げたくもなりますが、それを乗り越えることが必要なのです。あなたの貴重な問題意識を「意識」で終わらせるのではなくて、行動・製品・政策・ソリューションまで落とし込んでみることで、世界はもう少し前に進むのではないでしょうか。

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