SDGsは本当にこの世を救うか?国連元インターン生が考える。

専門的な内容

こんにちは、かけるです。

今回は、最近話題の「SDGs」(持続可能な開発目標)について記事を書きたいと思います。

私自身、幼少期からフードロス問題に興味があり、大学院で初めてSDGsを学んだことで、国連インターンに興味を持ちました。

インターンでの経験や、その後の経験なども通して、SDGsについて思うところがあったので、書きたいと思います。

この記事では、SDGsの解説やそのゴールを一つ一つ解説する、なんて言うどこにでもある記事ではなく、

  • 幼少期の経験からSDGsに興味を持っている
  • SDGsはバブルなのではないか
  • SDGs自体が孕む問題と今後の方向性

といった内容を書いています。(あくまで勉強がてら書いた記事なので、何か具体的に政策提言できる訳ではないです。)

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幼少期の経験からSDGsに興味を持った

私は小さい頃から疑問を感じていました。その疑問とは「なぜフードロスが発生するのか?」です。

両親の教育もあり、食卓に並んだ食べ物を食べ切るのが当たり前でした。日々出された食べ物を食べ切るのは当たり前、少し無理をしてでも食べ切るようにしていました。

一方、小学校の給食では、毎日何かしらの食べ物が残ってしまいます。生徒がその日食べられる量を予測するのは大変難しいことなので仕方のないことですが、残すことを良しとしない性格の私は、なんだかもどかしさを感じていました。

小5~小6の担任の先生は環境問題への意識が高い人でした。給食が残ってしまうと、全員で少しずつ分け合い、完食することを目指す毎日。私は給食を食べ切ることができるので少し満足感に浸っていたが、ある日、友人が給食を食べ過ぎて昼休みに嘔吐してしまう事件が起きてしまった。この事件をきっかけに、食べ物を残すこと=フードロスを発生させないことはなぜいけないのか?、無理をしてでもなぜ食べ物を食べ切るようにしなきゃいけないのか、考えるようになりました。

フードロスの問題は、私が幼少期だった頃からちっとも解決されていない。例えば、2月3日の恵方巻。この日に恵方巻を大量に生産して大量に廃棄される現象が社会問題と化している。おそらく、恵方巻を作る量を抑えて廃棄を少なくするよりも、恵方巻を作りすぎて少し廃棄する方が、企業にとっては合理的なのでしょう。逆にいわゆるボランティア活動が長続きしないと一般的に言われることを考えても、「儲かるかどうか」って重要な指標なんだろう。

そんなことを考える子供でした。(いや、当時はそんなこと考えてなかった、盛ってます笑)

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国際食資源学院では世界的な食料問題について広く学習

2019年に入学した国際食資源学院では、「世界の食料問題を解決する」というスローガンのもと、様々な講義や実習を経験しました。

その過程で学んだのが「持続可能な開発目標(SDGs)」。私が講義を受けたのは2019年、SDGsが策定されたのが2015年だったので、当時既に4年ほど経過していました。フードロスに興味があった自分にとって、フードロスを無くすこと、そして飽食と飢餓が生じている世の中の不均衡を是正することが「良し」とされるような目標が世界共通で存在していることに、私は喜びを覚えました。

当時感じていた問題は、SDGsがほんの一部のヒトにしか知られていないことです。

そんなことに問題意識を持つようになり、SDGsを定めた張本人である国連の広報を担当する「国連広報センター」でのインターンの機会を頂きました。

(休学に関する記事はこちら→修士課程で休学すべきか?~休学を終えたいま思うこと~

SDGs認知率10代は7割超に、全体は54.2%
電通は26日、「SDGsに関する生活者調査」の結果を発表した。調査の対象は、10~70代の男女1400名、調査期間は2021年1月22~25日。本調査は今回で4回目となり、コロナ禍による影響なども分析した。

国連インターンではSDGsの広報を経験

インターンでは、広報やSNSに関する業務を行いました。特に印象に残っているのが、SDGsを啓発するためのコンテンツ作成です。SDGsを知らない人に対して、Facebook、Instagram、Twitter等を通じて、SDGsとは何か、何を目指しているのかを解説するコンテンツを作ることです。

インターンを経て感じたことは、そもそもSDGsを知らない人にはリーチできない、かつ、SDGsを知っていてもその人の行動変容を促すまでには至っていないと思いました。それもそのはず、フードロスに元々興味を持っていた私のような人は本当に少数派で、普段はそんなことを気にせずに過ごしています。かく言う私も、食べ物を全く残さないで毎日生活できている訳ではありません。

ということを踏まえると、SDGsを知ってもらうことではなくて、消費者が気付いたらSDGsに貢献できる選択肢(サービス、製品などなど)を提供することが重要ではないかと思うようになりました。

世はまさに「SDGsバブル」

企業行動や投資行動にまでSDGsが用いられるようになったのは良いことではないか

実は、上記の私の思いは実現されつつあります。就職活動においても、「企業は、経済価値を求め続けるのではなく、社会価値や環境価値も同時実現する必要がある」とアピールするために、SDGs・ESGセミナー、社会課題解決型インターンを開催し、社会価値・環境価値を実現するために企業があるんだよ、ということを企業は必死にアピールしていました。

(就活に関する記事はこちら→就活という名の人生探し

「SDGs、何それ?儲からないならやりません」という時代があったことを考えると、現在このような状況にあるのは大きな進歩ではないでしょうか。

やらされSDGsになっていないか

SDGsのイメージは現状プラスに働いています。「SDGsに取り組んでいる=企業イメージ向上」、という構図が成り立ちますね。SDGsに関連して、最近多くの企業が行っている手法は、自社のサービス、製品がSDGsのどの項目に良い影響をもたらしているのかを可視化し、企業HPのサステナビリティページで公表することです。

しかし、この動きは未来永劫続くことなのでしょか?企業にとって、「儲かること、利益を生むこと」はここ数十年変わらない原理(というか今の日本を形作っている資本主義)ですが、「SDGs実現に取り組むこと」は一過性のことの様な気がします。

このままでは2030年のSDGs実現は不可能だと言われることもあります。MDGs→SDGsときて、2030年~2045年くらいの世界的目標が国連主導にとって定められるものだとは思いますが、その「後継SDGs」に対しても企業側が対応してくれるかどうかは分かりません。「SDGsが未達成だったのは自社のこういう部分はいけなかった→改善に繋げていこう」と自主的に考える企業がどれだけあるのか、疑問です。

「やらされSDGs」多い日本企業に欠けた重大視点
サステナビリティ経営には、規制などの外圧に対処するための「外発的対応」と、サステナビリティの重要性を理解して自ら進める「内発的対応」がある。外発的対応は「①インシデント型」と「②外部要請型」に分けら…

この記事でも、日本の多くの企業が「やらされSDGs」になっていることを指摘します。

サステナビリティ経営には、規制などの外圧に対処するための「外発的対応」と、サステナビリティの重要性を理解して自ら進める「内発的対応」がある。外発的対応は「①インシデント型」と「②外部要請型」に分けられ、内発的対応は「③未来志向型」と「④ミッション・ドリブン型」に分けられる。世界の趨勢から内発的対応の重要性がますます高まっている

https://toyokeizai.net/articles/-/423202「「やらされSDGs」多い日本企業に欠けた重大視点」

問題は、「SDGsの未達成に対しては誰も責任を負うことはない」ことではないでしょうか。政権は選挙によって交代があり得るし、企業の経営層は利益が出せなかったら株主総会で交代されるかもしれません。しかし、SDGsの実現は出来なかったからと言って、実は誰も損をしない。そのツケが今現在貧しい人や苦しんでいる人、そして将来世代に回って来ます。

SDGsや後継SDGsの実現に対して責任を負うために、それをミッション・理念とする企業「④ミッションドリブン型企業」を増やしていく必要があります。このような企業が今後増加するために必要な施策は何なのでしょうか?

SDGsは企業PRに使われ、真の環境問題や貧困の解決策にならない【山口周×斎藤幸平】
山口周さんと経済思想家・斎藤幸平さんが対談。企業はSDGsに取り組む姿勢を見せるが、それは「免罪符」にされているのでは、と指摘する斎藤さん。本当に必要なことはビジネスモデルそのものの転換だという。

この記事でも、SDGsはこのままだと企業PRだけに使われ、真の問題解決にはならないと指摘します。

例えば、最近だとマクドナルドが「フィレオフィッシュは天然のアラスカ産スケソウダラを使っているからSDGsだ」と言い、ユニクロも「うちのウルトラライトダウンはリサイクルしているからSDGsだ」と主張し、くら寿司も天然の魚を使うということで似たようなこと言い始めた。何でもかんでもSDGsに当てはめてしまっている。

でも、フィレオフィッシュがSDGsにかなっていたら無限に食べていいのか。ユニクロでじゃんじゃん服を買っていいのか。違いますよね。本来向き合わなければならないのは、こうした企業のビジネスモデルそのものです。今のファストフードやファストファッションのシステムこそが、地球環境を破壊している原因です。じゃんじゃん作って、すぐ捨てる。大量生産・大量消費・大量廃棄の問題こそが、解決しなければならないことです。

https://www.businessinsider.jp/post-226561「SDGsは企業PRに使われ、真の環境問題や貧困の解決策にならない【山口周×斎藤幸平】」

儲かることを第一原則としている企業にとって、消費者の興味も薄れ、SDGs=企業イメージ向上にならなくなった数年後の未来では、SDGsバブルが崩壊したと言えるでしょう。「儲かること」に匹敵するような、企業の原理原則自体をSDGsチックに作り変えることはできないのでしょうか。

私を含めた消費者の意識をどう変えるか

前章では、SDGsが目指す姿は企業がやらされSDGsで企業PRにSDGsが使われるのではなく、大量生産・大量消費・大量廃棄こそ解決しなければならない、そのためにミッション・ドリブン型企業を増やすことが必要だと述べました。

しかし、大量生産・大量消費・大量廃棄を解決することは一見望ましいことに見えますが、私を含めた消費者に大きな出血を要求するものだと思います。それは、今の世の中は大量生産によって支えられているからです。例えば、コンビニに行っていつでも食べ物を購入することができるのも、洋服を安価に購入できるのも、大量生産(もしかしたら、そこで働く人の低賃金・強制労働があるあるかもしれない)によってこれが支えられているのが現状ではないでしょうか。つまり、SDGsを実現するということは、私たち消費者が今のような便利さを捨てて、不便利さを受け入れる必要があります。

エネルギーにおいても、同じ問題を捉えることが出来ます。CO2を減らしていくためには再エネの導入は欠かすことは出来ないですが、SDGs実現のために日本のエネルギーを100%再エネで賄うとすると、天候によっては頻繁に停電がおこったり、電力料金が高くなるなど、不便利さが生じると考えられます。

一般的に見られるような、「こまめに電気を消す」「食べ物を残さない」という消費者の行動目標はもはや当たり前で、しかもその行動だけでSDGsが実現できるほど甘くはないと思います。消費者にはそれ以上の、「不便利さを受け入れる」ことを許容する勇気が必要なのではないでしょうか。

おわりに

ここまで書いてみて、結局どうすりゃ良いんだよ、という質問が飛んできそうですが、ニュートラルに意見を表明し勉強することができるのが学生の良い点だと思います。一応、断っておきますが、私は別に、経済的価値を追及すること自体が悪いとは全く思っていません。我が国では高度経済成長期における経済成長があったからこそ、今の豊かな生活があると思います。最近の僕が食べ物に困らず生活できているのも、自由に飛行機で旅行ができるのも、病院にめちゃくちゃ掛っても医療費が安く済むのも(アトピー、喘息、骨折などなど病院にはかなりお世話になっています…)、かつての先人たちの努力の賜物だと思います。私も、少し先の未来を見据えて、その人達が少しでも困らないように仕事をしたいと思う、学生最後の夏なのでした。

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