国立大学院卒業生がSDGsをテーマに本を選んで対談してみた。 vol.1「人新世の資本論」

専門的な内容

こんにちは。じゅん、たかみつ、ようすけ、かける、にしこです。
今回は、「国立大学院卒業生がSDGsをテーマに本を選んで対談してみた。」と題して、今話題の「人新世の『資本論』」をテーマに5人で議論した内容を記事にしました。
専攻も卒業後の進路もバラバラの5人、それぞれの視点で「脱成長」や「資本主義」について考えてみました。
本記事では「人新世の『資本論』」を読んでいない人でも理解できるように注釈を加えています。
記事の最後には、メンバーの自己紹介記事のリンクを貼付しているので、そちらも併せてどうぞ。

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人新世の「資本論」を読んでみての感想

今回の対談では、今話題の「人新世の『資本論』」を題材としました。
まずは本を読んでの感想をお話ししたいと思います。

本を読んでみての所感

じゅん:自分の生活が途上国などへの「外部化(※1)」によって成立していることを実感し、ショックだったな。あと、外部化によって「構想(※2)」を略奪し、単純作業をただ「実行(※3)」させる資本主義には限界があると思った。個人的には「脱成長」は理想的だと思った。

かける:脱成長に対する印象は悪いものではないけど、著者との考えにギャップがあったな。自分は環境問題は技術革新によって解決できると考えていたが、著者は否定していた。また、食や農業も産業化するべきと考えていたが、著者はコモンズ(※4)として扱うべきだと主張していた。(ギャップを受けて)実際どうするべきか?で悩んだな。あと、脱成長の中で技術革新ってどう生まれるのか?に疑問を持った。

ようすけ「脱成長」は確かに理想的だけど、主張に対する定量的な根拠に欠ける印象だったな。ただ、フランス議会の「黄色いベスト運動(※5)」のように、市民が動いて政府に提言する動きは面白かった。今の日本では難しいかな?

たかみつ:再生可能エネルギーが化石エネルギーの代替ではなく、エネルギーの追加分として利用されているという主張が印象的だった。生活の質を際限のないエネルギー消費でしか高められない現状に悲しくなった。気候変動を止めるには、エネルギー消費以外で生活の質を高める方法を検討するべきだと思った。あとは、物で溢れた現代は、「未来の世代からの搾取」で成立していて、資源を使い尽くした未来に持っているのは、急激なインフレと物が欠乏した世界なのではないかなと思った。

にしこ:この本を読んでから、世の中の全てが資本主義に見えてきた。日本にあるほとんどの製品が途上国からの搾取によってできていると考えると、何も買えなくなった。だから「脱成長」の考えは理想的だと思えた。けど、利潤の追及で成立している今の世の中で、利潤の追及以外、つまり脱成長に価値を見出すことも難しいと思った成長=正義という考えを変えるにはどうすればいいんだろう?

※1 先進国の豊かな生活を実現するために、資源や労働を収奪してその代償を途上国や環境および未来の世代に転嫁し、不可視化してしまうこと。
※2、※3 論点②の冒頭を参照
※4 水や土地などの共有財産。万人にとって有用で必要だからこそコモンズの独占や商品化を禁止し、共同的な富として管理されるべきものとされている。
※5 化石燃料税を上げながら最も二酸化炭素を排出する富裕層への税を削減し、地方交通機関を減らして自家用車を使わせようとしたマクロン首相に、農民やトラック運転手とともに環境保護を訴える人びともいっせいに蜂起した運動。運動の結果、気候市民議会が開催された。(2018年11月〜)

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論点①:脱成長の実現可能性について

皆で共通の感想として「脱成長は理想的だが、現実的に可能か?」という点が挙がりました。
現実的な視点で、脱成長の実現可能性について深掘りしていきます。

かける:脱成長は理想的だと思うけど、現実的にどうやって脱成長を進めるかが難しいと思う。例えば、脱成長の中で技術開発投資って可能なのかな? 今の資本主義社会では、利潤を研究開発活動に再投資することで技術開発が行われている。この利潤の再投資というサイクルを脱成長が含んでいる訳ではないので新技術が生まれるエコシステムに疑念が残ったかな

たかみつ:確かに技術開発ってテスラみたいな大企業が莫大な資金を投資している印象。脱成長した場合、(大企業に代わって)地方自治体単位で技術開発ができるかって言われると難しいと思う。

にしこ:私も難しいと思う。アメリカなどでは知財が投資の対象になっている。脱成長すれば技術開発への投資が衰退すと思う。

かける:資本主義から脱成長に一気に変わるのは難しいと思うので、資本主義の中に脱成長を併存させていく必要があるんじゃないかな?例えば、ローカルなところから脱成長を普及させていくみたいな。グラデーションをつけて変えていくべきなのでは?

たかみつ:かけるに同意。みんながみんな外部からの資源で成り立っている「いわゆる」資本主義社会の中で生活するという状況は変えるべきだと思う。林業を活用した木質バイオマス発電で電力供給を行う地区があって、地産地消でエネルギーを賄うことが脱成長を実行する一つの手段だと思う。

にしこ:地域の人が受益者で投資家になるっていう地域内で完結するビジネスモデルの事例もあるよ。

じゅん脱成長の中で技術開発投資による近未来的なファンタジックな豊かさは求められないと思う。ただ、別の幸福の形が脱成長にあるんじゃないかな?

論点②:脱成長における労働のあり方

次に労働という側面から脱成長を検討していきたいと思います。
著書では本来の労働は「構想」と「実行」が統一されていると主張しています。「構想」とはモノをどのように作るかといった主体的能力で、「実行」とは構想を遂行する能力を指します。

例えば、家具職人はどういう椅子を作るかを考え(構想)、アイデアを元に椅子を作ります(実行)。この職人の場合は「構想」と「実行」が統一されています。一方、資本主義のもとでは、構想と実行が分解されてしまいます。例えば、大規模な家具工場では一部の人が構想を行い、工場の現場担当は分業化された業務をただ実行するだけとなっています。

著者は、この労働からの構想の搾取を、資本主義による労働の奴隷化と主張しています。
脱成長における労働と資本主義における労働のあり方について議論していきます。

資本主義における労働からの「構想」の搾取について

じゅん:この本を読んで労働に対する考え方が変わった。資本主義は人から構想を搾取して、実行のみを強いている。実際に職場で技能実習生を見ている経験から、途上国からの構想の搾取はリアルに実感した。脱成長では構想と実行をセットにしていることから、労働という側面から見ると脱成長に賛成かな。

たかみつ:資本主義社会では分業しすぎて、実行のみの労働には意味を見出すことができない。自分で考えて、自分で実行することで労働って楽しめるのではないかな。

ようすけ:自分の仕事であるサービス業は構想と実行がセットになっている。構想と実行がセットだと自分では人と触れ合うことを伴うし、一次産業でも体を使うことが多いのではないかと思う。これから高度に情報化していくことを考えるとこういった人とのつながりや身体性を伴う仕事の重要性(人でなければ行けない仕事)が高まると思う。そしてそれらがモチベーションや楽しさに繋がる人も多くいると思う。したがって構想と実行がセットになる事柄の割合を増やしていくことは大事だと思った。

にしこ:楽しさは人によって違うんじゃないかな? 実行だけを楽しめる人がいると思う。

かける:確かに、割合で見たら構想に魅力を感じる人って意外と少数派もしれない。

たかみつ実行だけの人は今の資本主義社会には必要不可欠な人で、この人たちがいるからこそ現在の経済成長に繋がった。大規模&効率化できたのも事実だよね。

脱成長における労働とコモンの管理について

かける:構想と実行が必ずしも統一されている必要はないんじゃないかな。資本主義社会における労働の問題は、実行側が明らかに搾取されているという構造だと思う。利益配分が明らかに不平等だと思う。

たかみつ:資本主義の中で、従業員側に利益の再分配ってできるのかな?

じゅん:まず無理なんじゃないかな。経営者は労働をコストとしてか見てないと思う。
大事なのは、実行だけを選択しても搾取されない仕組みなんじゃないかな。水や電気など、生活インフラが補償されていれば低賃金長時間労働による搾取を避けられると思う。生活インフラはもともとみんなのものだから、それを囲い込みによって所有して、希少性という付加価値をつけることはしないっていうのが脱成長の考えだと思う。

かける:水道水とコンビニの水で考えるとわかりやすいかも。水道水は設備費用など最低限の料金で、コンビニの水には付加価値がついている。

ようすけ:今まではお金を払う(外部化する)ことで利用していた水道(コモン)を、コミュニティ単位で時間と労働を払って管理運用していくことが脱成長コミュニズムの考えなんじゃないかな。

かける脱成長コミュニズムでは実行する人の働く意義が変わるんじゃない? 資本主義であれば、実行内容の目的はただお金を稼ぐこと。けど脱成長コミュニズムの下であればコモンを管理にすることになる。

たかみつ:確かに。コミュニティ単位で、話し合って実行していくことが脱成長コミュニズムなのかも。意思決定に関わるのが大事な気がする。

じゅん:現在ある仕組みで考えると、漁協とかわかりやすい例かもね。自分たちの漁場をどう運用するかを地域単位で話しあって、運用しているから。

かける:ただ、利用するコモンの大きさによってコミュニティ単位の管理運営の難易度って変わってくるんじゃないかな。例えば、集合住宅の雪かきくらいだったら簡単。だけど水道とか電気とか生活インフラレベルの話だと、自然と外部化されてしまうんじゃないかな。

にしこ:確かに。水道管の管理になるとスペシャリストが必要だよね。そうなると外注しなくてはいけない。外注するにはお金が必要になる。そうしたらお金を稼ぐ必要があるという意味で脱成長って難しいよね。脱成長ってお金の流れが見えづらいよね。利潤を発生させずにコモンをコミュニティレベルで管理するって現実的には難しいんじゃないかな

論点③:本当の豊かさとは?

著者は著書の中で、資本主義の豊かさでは人は満たされることはない、逆に貧しいと言及しています。
自分にとっての豊かさを定義しつつ、本当の豊かさについて考えていきます。

たかみつ:個人的には構想と実行がとても好き。構想と実行が常に求められる自給自足に憧れがある。だから衣食住に困らず、月に数回飲みに行けるくらいの稼ぎがあれば満足できそう。

じゅん:どっちかというと物質に対する欲求はないかな。自分が満たされるのは脱成長コミュニズム的な豊かさだと思う。けど自分自身は物に恵まれた世代だから、物質への欲求がほとんどないのかもしれない。物質的に恵まれなかった世代の人にとっては、資本主義的豊かさが自分にとっての豊かさになるんじゃないかな。

にしこ私は逆にめちゃめちゃ稼ぎたい。稼いで自分の好きなもの買いたいし、好きなことやりたい。今の資本主義社会では自由度=お金の多さだと思うし、稼いでいる人(出世している人)=市場価値が高い。だから私は出世したい。出世によって市場価値が高まることに満足できる。それに将来を考えたとき、自分の子供に不自由させたくないから今は稼ぎたいっていう思いもある。

たかみつ:(長時間)労働による不自由はないの?

にしこ:いや、あると思う。残業のせいで、帰宅が深夜で寝て起きてすぐ仕事っていうパターンはありがち。ただお金をもらう=我慢だと思っているし、仕事が楽しいと思えたら一番いいけど、世の中そんなに甘くないのではないかな。

ようすけ:「お金=自由度」は上京してすごく感じる。自分のやりたいことを実現するにはお金が必要っていうのは共感。ただ、今の世の中、選択肢がそもそも増えすぎなのではないかな?とも思う。祖父が亡くなる間際に言ったことが、「チョコレートを食べたい」と、「家族とご飯を食べたい」だった。人間の欲求って本質的にはここに落ち着くのではないかな。選択肢がありすぎるがゆえに、物質的欲求が過度に増幅されているのでは?と思った。

じゅん資本主義の中で求める豊かさって結局満たされないのではないかな資本主義が産んだ選択肢がなくなったら、意外と満たされるのでは?と思った。

にしこ資本主義的欲求が満たされるかは人によって異なると思う。私は推し(BTS)のグッズを買いたい。推しのグッズ買う、推しに会う、推しを見る、そのための手段がお金だからお金を稼ぎたい。

じゅん:自己のための目的なのか、承認欲求が目的なのかによって変わるのかな。後者の場合はいつまでも満たされることはないかもしれないよね。

ようすけ:自分にとっての幸せを定義できているかが大切だと思う。資本主義の世の中には執着を煽るプロダクトで溢れている。だから自分にとって何が大事かを言語化しないと、際限なくお金を求めてしまう。

論点④:資本主義への向き合い方

現状の資本主義を変えることは難しい一方、気候変動やコロナ禍といった世界規模の課題にも目を向ける必要があります。
対談の最後に、今の資本主義にどう向き合っていくかについて議論しました。

じゅん:漁協や農協のような既存の仕組みって実は重要だという気づきがあった。この仕組みがあるから零細生産者が生き残れていると思う。そういう地域の仕組みはまだ日本にも残ってる。今後、飛躍的な経済成長は見込めないけど持続可能性は高いと思う。だから、資本主義社会の中でも漁協や農協といった存在は大事にするべきだと思った。

かける:農業など全ての産業が産業化する必要はないと思っている。日本って中央集権的なパワーが強い国。一部の権限や予算を地方に分散して、国の顔色を伺って現状できていないことを地域ができるようになれば、脱成長コミュニズム的な政策が地域でぽこぽこ生まれてくるのではないかな?

にしこ:環境問題と資本主義のつながりが強いと思ってる。資本主義から変えるというよりも、環境問題に対する意識を持つ人間が増えたら、自然と物やエネルギーの無駄な消費を抑えられるんじゃないかな。

たかみつ:消費者が意識していく必要があると思う。その手段として、国民が政策に対して責任を持って議論し合う市民議会が有効なんじゃないかな。

じゅん:意思決定が身近にあった方が国民も動きやすいと思う。そのためにもかけるが言うように地方分権がキーになると思う。例えば夫婦別姓って与党である自民党に勝たないと現状を変えることができない。野党全党が反対しても変わらなかったから、政権レベルだと意思決定への参加ってとても遠く感じるんじゃないかな。一方、市長選レベルだともう少しスケールが小さくなる。明石市の泉市長の政策を見ていると、独自の政策をぽこぽこ出せている。資本主義の中でも地方分権して意思決定への参加を促進することが大事なんじゃないかな。

かける:例えばオンラインサロンで1,000人集めて、1000人以下の市町村に行けば、議会も市長も掌握できるのでは?って個人的に考えていた笑。そこでコミュニズムシティーを作ったら、日本全体を変えないまでも、新しい社会の事例になることができる。

じゅん:おもしろ笑。かけるのコミュニズムシティがトリガーとなって、次の事例がポツポツ生まれるんじゃないかな。グラデーションの最初の過程になるんじゃないかな。最初の一事例を作るのが大事なんじゃないかな。

ようすけ:個人レベルで脱成長している人はいる。オンラインサロンレベルのコミュニティレベルなど、市町村より小さい単位で始まっている事例はある。

かける:ただ一方でソ連が潰れたという事実から社会主義が成り立たないのではないか?、国全体が脱成長コミュニズムを目指すべきなのか?と懐疑的になってしまう。

たかみつ主語によって脱成長への賛否が変わる気がする例えば、気候変動を止めるためなら脱成長は良いし、長期的には人類を救うと思う。でも実際に全世界が経済成長している中で一国だけ脱成長すると、構造上の問題で、今度は搾取される側になってしまって、果たしてそれが国民の幸せか?と考えると疑念が生まれる。

にしこ変えられることから変えることが大事なんじゃないかな。南北問題といった世界の格差を是正するという大きな問題解決につながるかもしれない。

まとめ

いかがだったでしょうか。
メンバーで議論した後も、slackで議論が続くぐらい議論が白熱しました。
今回の議論を通して、はっきりとした答えは得られませんでしたが、今の社会や未来に対して真剣に考える良いきっかけになりました。

ぜひ「人新世の『資本論』」を読んで、周囲と議論してみてください。

まとめになります。

①一見、脱成長は理想的で賛成多数かと思ったが、現実的に考えると疑念が残った。

②脱成長への急激な遷移は難しい。地域ごと、産業ごとなどグラデーションをつけて脱成長に遷移する必要がある。

③「人新世の『資本論』」は資本主義や気候変動への向き合い方を議論する良い教材だった。

このような対談記事はシリーズ化していきたいと思っています。
乞うご期待ください!

メンバーの自己紹介記事

今回、議論したぐろばるメンバーの自己紹介記事です。
こちらも併せてどうぞ!



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